2025年1月11日 (土)18時~20時
福田恵子さんは、1月の人生一服会Zoom開催中に急逝いたしました。参加者全員、心よりご冥福をお祈りいたします。
福田恵子
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福田恵子(Keiko Fukuda)ライター
大分県出身。国際基督教大学(ICU)を卒業後に東京のリクルートに入社、営業、編集、広告制作を経験した後、1992年に退職し単身渡米。同年、在米日本語情報誌ライトハウスに入社し、2003年に退職するまで編集長を務める。退職後はフリーのライターとして日米のメディアにアメリカ事情を中心に取材執筆。2024年に日本に本帰国し、大分県大分市在住。現在もリモート取材でライター業を継続中。全米日系人博物館運営のオンラインメディアDiscoverNikkeiに日本に帰国した人、アメリカに残った人、日本帰国後に再度アメリカに戻った人などのインタビュー記事を多数執筆。
大分県出身。国際基督教大学(ICU)を卒業後に東京のリクルートに入社、営業、編集、広告制作を経験した後、1992年に退職し単身渡米。同年、在米日本語情報誌ライトハウスに入社し、2003年に退職するまで編集長を務める。退職後はフリーのライターとして日米のメディアにアメリカ事情を中心に取材執筆。2024年に日本に本帰国し、大分県大分市在住。現在もリモート取材でライター業を継続中。全米日系人博物館運営のオンラインメディアDiscoverNikkeiに日本に帰国した人、アメリカに残った人、日本帰国後に再度アメリカに戻った人などのインタビュー記事を多数執筆。
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若尾龍彦(Tatsuhiko Wakao)
公益財団法人 海外日系人協会評議員 海外有権者ネットワーク日本代表
1940年12月生まれ。終戦で朝鮮から山口県へ引き上げ、父の死去で7歳の時、四国松山へ移る。松山商科大学卒。八欧重機(現・富士ゼネラルを経て原田工業へ)1981年4月、ロサンゼルス赴任。1990年に退職し独立。コンサルティング会社設立。JCCSCの会頭、AACAなどの要職を経て、友人の要請で、2009年4月に米国法律事務所所属。2018年退職。現在は日本へ永住帰国している。
公益財団法人 海外日系人協会評議員 海外有権者ネットワーク日本代表
1940年12月生まれ。終戦で朝鮮から山口県へ引き上げ、父の死去で7歳の時、四国松山へ移る。松山商科大学卒。八欧重機(現・富士ゼネラルを経て原田工業へ)1981年4月、ロサンゼルス赴任。1990年に退職し独立。コンサルティング会社設立。JCCSCの会頭、AACAなどの要職を経て、友人の要請で、2009年4月に米国法律事務所所属。2018年退職。現在は日本へ永住帰国している。
●アメリカには多くの日本人が住んでおりますが、そのうち領事館に在留届を出している3ヶ月以上の長期滞在者の数は489,732人、その内訳は長期ビザ滞在者は209,600人(43%)永住権者は280,132人(57%)で、傾向としては其の総数は年々減少しております(2023年外務省調査より、長期ビザ取得者や永住権者でも在留届を提出していない人、市民権取得者は統計から除外されており、実数はこの数字よりはるかに大きいと思われます)
●最近は高齢になってへ引き上げる日本人永住権者や市民権取得者が目立ちます。長年アメリカ生活を楽しんでいたのに、何故わざわざ老後になってから日本へ、と不思議に感じますが、親族が少なくなったのに日本への帰国志向が強くなるのは、望郷の念・老後の漠然とした不安(健康/医療/介護・文化・生活・食事・言語等)から引き起こされることが多いようです。
●然しそれ以上に興味があるのは、日本へ引き上げた彼らの其の後です。
- 期待通りの日本生活をエンジョイしているのか、それとも期待外れになったのか、
- 彼らは生活基盤をどうやって作りあげているのか、(住まいと生活費)
- 医療や介護問題を理由に帰国した方が多いようですが、彼らの期待は満たされたのか、
- アメリカでの生活パターンとの違いをどう克服していったのか、
- 彼らは永住権を放棄をしたのか、市民権の人は市民権を放棄したのか
- 日本は終の住み家になったのか、それとも、又アメリカへの帰国を考えているのか
●今回は現在日本引き上げをお考えの方、日米どちらを終の住み家をにするか迷っている方を対象に、帰国を考えた方々は何を思ってそう決断したのかを知ることにより、自分なりの判断を下す参考にしていただきたいと願っております。 興味のおある方は是非ご参加ください。