夜中ドーナツショップにコーヒーを飲みにいきました。そこで一人のミュジーシャンと話をするチャンスがありました。 彼は良くあるミュージシャンです。定職は無く、生活は苦しく、でもミュージシャン。彼によると,彼はコロラド州から南カルフォル二に移動、ソロのギタリストとして演奏活動を展開、そしていまや51歳。 まで一度も財布に$1,000の現金を手にした事が無いそうです。ミュージシャンになりたい人、又、自称ミュジシャンは掃いて捨てるほどいるし、如何してもそんなに生活が苦しいにもかかわらずミュージシャンを続けたいのですか、ときいてみました。 「…」 「今、51歳。今までこの様な状態だったから、今更変えるつもりはありません。」 考えさせられてしまいました。アメリカ人にはこの手の人間が多いようです。将来のスポーツスターを夢見、学問をスキップ。自分にはむいていないと気がついたときは既に中年。ウエイターウエイトレスには自称アクター・アクトレスが沢山おります。一体このうちどれほどの人がアクター・アクトレスの端くれにでもなれるのでしょうか。スターになれるのはホンの一握り。自分の生活を支えることのできる人も僅か。その現実に気付きながらも、自分だけは違うから、そう希望しながら、やっぱり皆と同じ道を歩んでいくようです。日本人社会にも自称アクター・アクトレスが沢山おります。この方たちの何人が自分の夢にたどりつけるのか、想像しただけでも気の重くなる話です。 彼にききました。 「私の耳からすると皆同じように上手だけど、一体何がスターと並のミュージシャンの差になるのですか。」 「輝き!」 彼は即座にそう応えました。彼は特定のギタリストの名前をあげ、彼がギターを握るとものすごく大きく見え、光輝いて見えるという事だそうです。きっとスターには特別な華やかさ、輝きがあるのかもしれません。 「貴方にはそう言うものはないのですか」、と私。彼は答えませんでした。 「もしかしたら、それは持っている楽器のせいもあるのでは」、と私。 自分には高いギターを買う金はない。だからだいぶ前、あるところで中古のギターを$500で買って来た。それは新品だと$6,000のギターだと初めて彼の顔がほころびました。安いギターと高いギターにはそれだけ音色に差があるの、とききました。 「勿論。 ベニヤと比べればこの木の音色は問題にならない」、彼のうれしそうな顔がかがやきました。 やっと彼の顔から暗さがなくなってきました。 「一人でやって難しいようだったらグループを結成するか、グル-プに入ったら」と私。 「…」 「上手く行っているような話ではないようですが、今後はどうするのですか。音楽活動を続けるのですか」と私。 「今、51歳。 今更変えるわけにはいかないし…」 私の周りには彼と同じようにストラグルしている人間がかなりおります。ビジネスに関していえば、ビジネスにチャレンジ、上手く行かず勤め人に戻り、暫くするそれに耐え切れず再びビジネスを開始。又上手くいかず、再び務め人に。又、 このミュジシャンと同じのように、鳴かず飛ばずのままビジネスを継続している人。色々です。人それぞれです。そのような人生を本当におくりたかったのか、それとも只惰性で送ってしまっているのか。必ず何時の日か夢は実現するとただひたすらそれを信じて頑張っているのか、傍にはわかりません。分かってもらう必要もないようです。本当の答えは、彼らがこの世の人生を終える時なのかもしれません。 私は話をかえました。私の知っている偉大な人々の話をしました。偉大というのは、彼らが上手く成功しているからではなく、絶対に不可能だと思われるような状態におりながら、それでも希望や夢を失わず頑張っている人の話、上手く行っていると思っていたら、実は想像もつかないようなハンディキャップを背負いながら頑張っている人であった話、そして、私達も負けてはいられないね、そう彼に話かけました。 袖すりあうも多少の縁。二人きりのドーナツショップで、発砲スティロール入りコーヒーを飲みながらの一時でした。明日が早いからもういかなきゃ。私はたちあがりました。又、お会いしましょう。すると大きな彼も立ち上がり握手を求めてきました。その握手の強かった事、 強かった事。 良い一日でした。 |